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サヴァ?

引きこもりmarutaの日々あれこれ

禁煙一月目の出来事  

禁煙を始めてから、今月24日で一ヶ月。

ほぼ吸いたい欲求は無くなりました。

しかし、かつて急性膵炎で入院した折、ドクターに言われたのは

「次の発作は今回よりもっと痛いよ」

でした。

幸い、その急性膵炎で何度か倒れたことはありましたが

前回を凌ぐ程ではなく、毎回と同程度の激しく耐え難い痛みで収まっています。

しかし・・・・・・・・

今回の禁煙は、なかなか手強い。

喫煙欲求がほぼなくなったとはいえ、急に来るんです。

かつて喫煙していた時のニルヴァーナの記憶が。。。

そうして、前回も書いたようにFriskを常備し始めました。

ある友人に、その手のモノはあんまり食べすぎる体に良くないよ。

と言われていましたが、柿の種の代わりににカリカリ食べていました。

しかし、ある晩突然激しい腹痛に見舞われ、全身にビッショッリと冷や汗をかきつつ

倒れるに倒れられず、必死で便座に座っていました。

それ以来、Friskの食べ過ぎには重々気をつけています。

。。。

しかし、この週末エイヒレさんと会った時その話をしたら

満面の笑顔で、カバンの中からどど〜〜んと取り出したのです。

フリスク

いわゆる、Friskの大人買いです。

自粛しようとは思っていたけれど、Friskないと苦しい・・・

それが本音でしたから、かなりありがたかった。

しかし、ここまでやるか、エイヒレさん・・・・

一箱に、10個または12個入っています。

しばらくFriskに困ることはないでしょう。

あと一月、または二月もすれば、完全にタバコから離れることができると思います。

私頑張るよ!!


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Posted on 00:52 [edit]

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しばらく留守にしていました  

さて、先週の日曜日にようやく自宅へ戻って参りました。

訳あって、エイヒレさんが暮らす実家におりました。

実家といっても、今はエイヒレさんのお母さんがいるのみ。

さっぱりした気さくな方なので、私も気が楽でした。

でも、数ヶ月前から続いていた体調不良は否めず逆にご心配をさせてしまいました。

ごめんなさい。

でもね

まだまだ暑い日、一緒に出かけた買い物から戻って

「喉が渇いたからビールでも飲まない?」

とエイヒレママがおっしゃるので二人でビールを半分こして飲んだり

エイヒレさんが残業で遅い日は、買ってきた焼き鳥をほおばりながら

ビールをごくごく。

一本、二本と空くうちにお互いだんだんテンションがあがり

エイヒレさん帰宅後も二人で飲み続け

「今日は朝まで飲みましょう!!」

なんて事に成って延々とおしゃべりをする事もありました。
(結局、最後のビールが夜中の2時過ぎになくなったので、それでお開きになりましたが。。。)

なんて言うと、エイヒレさんのママと

毎日ラブラブな日々を過ごしていたように思われるでしょう。

でも実際のところ、何度か顔を合わせた事があるといっても

お互い知らない者同士です。

家に戻ったmarutaはどっと疲れが押し寄せて

一週間、ほぼ寝て過ごしました。

でも、それはエイヒレママもきっと同じだった事と思います。

お母さん、本当におつかれさまでした。

ありがとうございました。

。。。

ほぐし器
エイヒレさんは、これで一日の脚の疲れを取るそうです。
脚の疲れていないmarutaもやりましたが、なんだか朝に疲労感を感じました。
さらに夜中にトイレのスリッパが履けませんでした。



別チャンネルの続きがあります。

時間があったらお読みください。



-- 続きを読む --

Posted on 21:05 [edit]

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ある人の記録  

我が村には宝くじ売り場がありません。

でも、元々くじ運のないmarutaです。

不便を感じる事はありません。

ただ、以前勤めていた会社の隣に宝くじ売り場がありました。

くじ運がないと分かっていても、常に目にしていると何となく買ってしまいます。

それでも、季節ごとのなんとかジャンボは3枚。

頻繁に売り出される東京都の宝くじは1枚、と決めていました。

当たるときは一枚でも当たるんだ、というのがmaruta的思考。

ある年の秋、オータムジャンボを、いつものように3枚買いました。

。。。

その秋、大先輩で飲み友だったカメラマンが突然亡くなりました。
前回のブログの追記で紹介した人です

その人の名前は、宮内一徳といいます。

今の「テレビ東京」が「東京12チャンネル」だった頃

ドキュメンタリー映像を手持ちオンリーで取り上げる手法で伝説の人になったそうです。

宮さんに出会ったのは、私が30歳、宮さんが63歳のときです。

「俺はパイロットかカメラマンになりたかったんだ」

と言っていた宮さんはカメラマンになり、いっときもカメラを離さない

本当のカメラ小僧(おやじ?)でした。

時間的には5年間のおつきあいでしたが

私は自分の仕事の楽しさを教えてもらい、もっと奥深く視野が広がっていく思いでした。

実際どんな大変なロケでも、その土地の風景や出会った人や

食事をしながら大いに笑った事の一瞬一瞬が

今でもフラッシュバックしてくる程、本当に楽しかった。

酒好きの二人でしたから、仕事中でもランチビールは当たり前。

夜は夜で食事中はもちろん、その前後にも飲みながら沢山話をしました。

私は職場で人にも恵まれ、人として成長できる仕事をさせていただいていました。

でも、何かが物足りない、そんなジレンマを抱いていたある時

会社を首になるのを覚悟で、宮さんの自費でのリサーチ取材旅に同行させていただきました。
私の師匠であるカメラマンは私の決意に全面協力以上の事をして下さいました。先輩カメラマンに、私をよろしくお願いします、と頭を下げて下さったと、取材中に聞かされました。幾重にも感謝です。

アメリカの田舎町(Route 66を車で走ったの💗)で、二人の男性と私の三人で

案件のポイントを絞り取材して、真相に迫ろうという試みの旅でした。
その取材旅はその後も数回行われたのですが、蓄えのない私は初回だけで降ろさせていただきました。ごめんなさい

。。。

撮影以外の事で、細かいことをあれこれ言うのをとても嫌い

口癖は「俺はええかっこしいなんだ!」の宮さんでしたが

「死ぬまでカメラマンを続ける」と口にする事は決してありませんでした。

体力を測るために、常に階段を使っていました。

そして、月に一度は千葉の自宅から、都心の事務所まで歩いていました。

自分の決めた時間以内に歩けなかったらカメラマンを辞めるのだと。

そうやって会社にたどり着いた、ある日の早朝。

事務所へと向かう階段で突然倒れ

病院へは搬送されましたが、そのまま目を覚ます事なく

「お先に失礼」とばかりに逝ってしまわれました。

お葬式は密葬だったため、お別れをする事は叶いませんでした。

。。。

しばらくして、「宮内さんを偲ぶ会」の通知が届きました。

あれだけ魅力的なキャラの宮さんでしたから、集う方の人数も多く

ささやか、といいつつも参加費は一万円でした。

いつだってビンボーなmarutaにはかなりの痛手です。

でも、どうしても行きたい。

なんとかして捻出しなければ・・・

と思っていた矢先の事でした。

秋口に買ったオータムジャンボの宝くじ3枚のうち一枚が、一万円当たったのです!

300円でもなく、5百万円でもなく、きっちり一万円。

私の貧乏ぶりは、会う度笑い話になるくらい、宮さんは承知してました。

やられた!

「maruta、お前絶対来いよな!」

というメッセージ付きの、宮さんの粋な采配だとしか思えませんでした。

。。。

そういう訳で、marutaは存分に宮さんとお別れする事ができました。

宮さんの遺灰は、生前からの言葉通り

同僚の方の手で、各地の海にまかれたそうです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮さん


宮さんが亡くなる2年前くらい前の写真の一部です。

この写真が大好きです。

右端の方は、日本で修行された日本画家のアメリカ人です。

ハリウッドの豪邸の各部屋に、日本画が描き尽くされていました。

その方のねこさん、名前はピーチ。

普段は滅多に人になつかないのだそうですが

宮さんと私にはとても仲良くしてくれました。

ランチの終わりに、弟子の方が写真を撮りましょう、というので

「ピーチおいで。一緒に写真撮ろう!」と声をかけると

それまで、高見の見物を決めていたピーチが

ぴょ〜んと飛び降りて、腕の中で撮影に参加してくれたんです。

この日のランチには他の要素も加わって

宮さんの意外な一面を発見できた事もあり

ピーチも一緒の、結構笑える思い出の深い一枚なのです。



Posted on 18:46 [edit]

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WILL POWER  

介護というのは本当に大変なものだと思います。

主婦であり、母であり、妻である女性にとって

精神的な理解者がいなければ、いつか心に破綻を来すと思います。

東京から一人で爺婆付きの旧家へお嫁にいった友人から

今日初めて、協議離婚の話が出ているという話を聞かされました。

初めの頃は爺婆のいじめにあっていましたが

現在はその爺婆の介護の日々です。

自分たち夫婦家族とは違う食事を作り

病院への付き添いに何時間もかかったりしながら

掃除洗濯などをこなし

地区の役員会合やら、子供の成長と今後の事やらに心を砕いている彼女です。

しかし、外で働いている男性

特に、一人暮らしをした経験のない男性には、家事の大変さがまったく分からないようです。

marutaは独り者で、介護する両親もいません。

けれど、相方のエイヒレさんが痔の手術をして以来

術後の治りが悪く、約2ヶ月程、ほとんど介護的な生活をしていました。

痔の切除術のあとは、肛門の締まりが悪く

便のお漏らしをするのは普通だとか。

一日に何度か、便で汚れた下着なんかを洗いながら

友人の心労を思いました。

エイヒレさんの場合は、傷が治れば良いのです。

でも老人介護となれば、十年単位もざらではありません。

実家の母は20年にわたり祖母の介護をしたそうです。

。。。

さらに食が細くなる事にも心を砕きます。

残しても、もしかしたら後で食べるかもしれない

という願いで、お皿にラップしてベッドサイドに食事を置いていいる彼女。

私も同じ事をしています。

それなのに、旦那から「だらしがない」と言われてしまう。

一日、疲れ果てて掃除もできずにいる彼女を

精神科に行った方がいいと、つきはなす男性です。

介護する事自体が大変なのではない。

精神的な理解者がいない事に大きな問題があります。

精神科に通っても、根本原因が解決されなければ

向精神薬、安定剤の投与なんて無意味です。
(精神科通いの長いmarutaの持論です)

いつもは、「負けないで」と言葉をかけるmarutaですが

今回に限っては、「爺婆の介護は続けるけど旦那の面倒は見きれない!!」

と言って、数日でもいいから家出しなさい、と言ってしまいました。

一旦心が壊れてしまうと

回復には5年10年とかかります。

そうなる前に、少しの休息を取るか

一番の理解者であってほしい旦那との対話・・・

いいたい事を言い尽くすバトルをするかして

心が折れない方向に向かってほしいです。

。。。

心を通わせるためには、自分の心を開かないと失うものが多すぎます。

できる事なら、諦めず

赤裸々な話を重ねた上で、娘さんが卒業するまでの後9ヶ月に耐え抜いて下さい。

。。。

十代のやんちゃ世代が聞くパンクロックですが

彼女が聞く事はないでしょうけれど、友人のために祈りを込めて。。。

Posted on 21:08 [edit]

category: 友人

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何から話しましょうか・・・  

さて、何から語れば良いのでしょうか。

大泣きした事?

大笑いした事?

。。。

昨夜、marutaは大泣きしました。

あまりにも、作る私の気持ちを分かってくれないので

ついに、ふてくされて大泣きしてしまいました。

このところずっと体調が良くない相方さんがいるので

食事を作ってはみるけれど、ことごとくダメ出しを食らっていた

という事は以前に書きました。

さらに

167cmという彼の身長に対し(疑わしいのでメジャーで測ってみました)

体重は47kg代まで落ちていると聞かされました。

どんなにダメ出しされても、とにかくまともな食事を作らなくては

という使命感がmarutaの心に強く芽生えます。

しかし、食材との兼ね合いもあります。

その夜、チキンとキャベツ、ニラの中華炒めを作りました。

春雨と野菜のスープ付きです。

チキン炒め 春雨スープ またしてもピンアマですみません。

相方さんは少し食べて、「なんか違う」とまた箸を置きました。

私は頭を抱えます。

それほど中華的な味は外していないはず・・・

「味が濃すぎる?」

「「いや・・・」

「でもなんか違う・・・」「・・・豚肉の方がいいんだよね」

そんな事百も承知の助だ!

鮮度的に早く消費しなければなかった鶏肉を使ったのが

そんなに気に入らなかったか!!!
(私はお肉が苦手なんだ! それでもあえてお肉を使った料理しているんだ!!!)

これまでのこともあり、かなり怒り心頭に発して後片付けもせず

夜9時くらいに眠剤を飲み、床のラグの上に一人横になりました。

でも、悔しくて涙があふれてきます。

涙が溢れてきて、嗚咽を漏らしてしまいます。

なぜ私がベッドではなく、ラグの上で一人で横になりおいおい泣いているのか

分けが分からずにいる相方さん。

ゆで卵と錦糸卵を作り、わかめを胡麻醤油で和え、キュウリを刻んでにカニかまを用意し、

後は自分で作って、と置いておいた冷やし中華を茹でて食べようとしています。

「私は要らないから」と横になりながら言うと、悔しくて涙が溢れ出てきます。

泣きじゃくりながら訳を話す私の背中をさすりながら、「ごめんね、ごめんね」

と言ってくれましたが

本当のところ私の気持ちを、少しは理解してくれたのかどうか・・・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

いつも古くからあるシングルのベッドに二人で寝ます。

なかなか寝返りも打てないので、時々ベッドから落っこちるときもあります。

また、それ以外の理由でも

相方さんが、ラグの上で寝ている事も多々あります。

ある日の明けがた、目が覚めると隣に相方さんがいません。

床の方にめをやると、またラグの上で寝ています。

「ベッドにおいで」と声をかけても、熟睡しているらしく反応がありません。

しばらくして、また目が覚め

床の上で寝ている相方さんをみると

今度は、私の家に25年以上前からいる巨大なねこさんと抱き合って寝ているのです。

寒かったのだろうか・・・?

とは思いましたが、しっかりと抱き合って寝ている姿に

目が点に。。。

まったくもって、笑いが止まりませんでした。

その時の写真はありませんが、その後も、ねこさんと抱き合って寝るのが

気持ちよいらしく、他のぬいぐるみも一緒になって寝ています。

添い寝

このあと、彼は、にゃーにゃを「にゃんこ先先」と呼び

くまの「ののちゃん」も含めて、よく抱き合って、何か相談事をしているようです。

カウンセリング要らずの相方さんのようです。。。

添い寝2


Posted on 17:53 [edit]

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