サヴァ?
引きこもりmarutaの日々あれこれ
2016/02/13 Sat.
人生には何が起きてもおかしくないよね 
去年の夏、過度のストレスと急激な暑さとで、街中で倒れ救急搬送された病院で
私を診てくれた内科医が私の両の手首を見てつぶやいた。
「ずいぶん辛い事があったんだね」 と。
。。。
10数年前までひどい鬱状態にあり
常に死へのスパイラルに飲み込まれていた時
大量服薬とリストカットを繰り返していた。
普段脈をとるポイントに指を置く向きに対し垂直にナイフの刃を突きつける。
私を守るために、かつて看護師の知人がわざと教えてくれたのかもしれない。
「手首の動脈は深く、その周りを筋が守るように取り巻いているのだから
本気で手首を切りたいのなら
先ず血管に沿って縦に深く切り込みを入れてから動脈を切らないと
リストカットでヒトは簡単には死ねないのだ」
その変な?知識のせいで、ためらい傷といえばそうなのだが
marutaの手首には縦横に約2センチほどの
ケロイド状になった傷跡とも判別し難いものが残っている。
要は、勢いではなく手順を踏まなくてはならないから(と思っているから)
ナイフの刃を手首に食い込ませ、体の方に引いていくのが余りに痛すぎて
いつも2センチかそこらで止まってしまう。
傷跡の上に傷を作り、まだ治りきっていない傷口を開くようにさらに深くナイフを入れる
それの繰り返しだから、傷口は醜いケロイド状になった。
。。。
朦朧としている頭で、見ず知らずのドクターに「辛かったんだね」と言われているのを聞いた時
こんなにも心に響く言葉を使える、『察する』ことができる人がいるんだ、とたまらなく嬉しかった。
『察する』という力、能力は時に人の生き方に変化点をもたらすことがある。
最近、よく感じる。
人生には何が起きてもおかしくはない。
この年齢になって初めてそう思うよになった。
(marutaは今年歳女です)
。。。
昨年末頃から、自分の病気が治りたいという希望を失ってしまった。
別に死にたいとかそういうことではない。
ただ希望を見失ってしまっただけなのだが、それが以外と辛かったりする。
このまま治ることもなく何の役に立つこともなく、ただ一人生きていくのか。。。
誰の役にも立てないのなら生きている意味はあるのだろうか・・・
といえば友人は「少なくとも私の役に立ってるよ」と宣ってくれる。
苦笑いをするしかないのだが、そんな話をしている時
ある人から一緒にJICAに行かない?と誘われた。
半分は冗談だったかもしれない。
でももしかしたら、最初のオファーだったのだろうか。。。
本人はかなり本気で計画を立てている様子。
もしJICAボランティアに参加するならば、今この病状をずっと回復させておく必要がある。
いつかはアフリカへ、と私の中ではずっと以前時から決まっていた。
旅行ではなくアフリカの地で何かの役に立ちたい、と。
それならば薬に頼らなくてよい身体にして、アフリカへ長期ボランティアへ行くという計画を立ててみようか?
それは、久々に私の中に希望を見出したような気がした。
私をJICAに誘ってくれた友人の『察する力』
が、磁石が引き合うように私の中の生きていく希望のかけらを引きつけてくれた。
今はまだ体調が良くなく、新しい病院への転院をしなければならなくなったのが現実なのだ。
(現在受診中のドクターに匙を投げられたようだ・・・)
でも考えてみて。
これも一つの変化点なんじゃない?
うん、うん。
キューバの青年にも英語レッスンの中で力説された。
「希望は決して失ってはいけない。必ず治ると信じ続けるんだ 」 と。
そうだね。
新しいクリニックと新しいドクターとの出会いが、良い方向へ向かうことを希求し
計画を練り始めてみよう。
私を診てくれた内科医が私の両の手首を見てつぶやいた。
「ずいぶん辛い事があったんだね」 と。
。。。
10数年前までひどい鬱状態にあり
常に死へのスパイラルに飲み込まれていた時
大量服薬とリストカットを繰り返していた。
普段脈をとるポイントに指を置く向きに対し垂直にナイフの刃を突きつける。
私を守るために、かつて看護師の知人がわざと教えてくれたのかもしれない。
「手首の動脈は深く、その周りを筋が守るように取り巻いているのだから
本気で手首を切りたいのなら
先ず血管に沿って縦に深く切り込みを入れてから動脈を切らないと
リストカットでヒトは簡単には死ねないのだ」
その変な?知識のせいで、ためらい傷といえばそうなのだが
marutaの手首には縦横に約2センチほどの
ケロイド状になった傷跡とも判別し難いものが残っている。
要は、勢いではなく手順を踏まなくてはならないから(と思っているから)
ナイフの刃を手首に食い込ませ、体の方に引いていくのが余りに痛すぎて
いつも2センチかそこらで止まってしまう。
傷跡の上に傷を作り、まだ治りきっていない傷口を開くようにさらに深くナイフを入れる
それの繰り返しだから、傷口は醜いケロイド状になった。
。。。
朦朧としている頭で、見ず知らずのドクターに「辛かったんだね」と言われているのを聞いた時
こんなにも心に響く言葉を使える、『察する』ことができる人がいるんだ、とたまらなく嬉しかった。
『察する』という力、能力は時に人の生き方に変化点をもたらすことがある。
最近、よく感じる。
人生には何が起きてもおかしくはない。
この年齢になって初めてそう思うよになった。
(marutaは今年歳女です)
。。。
昨年末頃から、自分の病気が治りたいという希望を失ってしまった。
別に死にたいとかそういうことではない。
ただ希望を見失ってしまっただけなのだが、それが以外と辛かったりする。
このまま治ることもなく何の役に立つこともなく、ただ一人生きていくのか。。。
誰の役にも立てないのなら生きている意味はあるのだろうか・・・
といえば友人は「少なくとも私の役に立ってるよ」と宣ってくれる。
苦笑いをするしかないのだが、そんな話をしている時
ある人から一緒にJICAに行かない?と誘われた。
半分は冗談だったかもしれない。
でももしかしたら、最初のオファーだったのだろうか。。。
本人はかなり本気で計画を立てている様子。
もしJICAボランティアに参加するならば、今この病状をずっと回復させておく必要がある。
いつかはアフリカへ、と私の中ではずっと以前時から決まっていた。
旅行ではなくアフリカの地で何かの役に立ちたい、と。
それならば薬に頼らなくてよい身体にして、アフリカへ長期ボランティアへ行くという計画を立ててみようか?
それは、久々に私の中に希望を見出したような気がした。
私をJICAに誘ってくれた友人の『察する力』
が、磁石が引き合うように私の中の生きていく希望のかけらを引きつけてくれた。
今はまだ体調が良くなく、新しい病院への転院をしなければならなくなったのが現実なのだ。
(現在受診中のドクターに匙を投げられたようだ・・・)
でも考えてみて。
これも一つの変化点なんじゃない?
うん、うん。
キューバの青年にも英語レッスンの中で力説された。
「希望は決して失ってはいけない。必ず治ると信じ続けるんだ 」 と。
そうだね。
新しいクリニックと新しいドクターとの出会いが、良い方向へ向かうことを希求し
計画を練り始めてみよう。
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